
スペイン・バレンシアで開催されたESOMAR Congress 2026に参加してきました。
世界80カ国以上から1,000人を超える市場調査、インサイト、マーケティングのプロフェッショナルが集まる、世界最大規模の業界カンファレンスです。
バレンシアへ行くだけなら、もっとラクで時間効率のよい旅程も当然ありますが、今回は旅費付のプロジェクトではなく、仲間に会う旅行みたいなものなので、バックパッカーだった昔取った杵柄で、バジェットトラベラーをやってみました。
往路を東京からイスタンブール、ベオグラード、バレンシアへ。
帰路は再びイスタンブールを経由して東京へ戻るルートにしました。
せっかくESOMAR CONGRESSという世界中の人々が集まる場所へ行くのですから、その目的地だけではなく、その途中の街や人々も見てみたいと思ってのことでもありました。
結果として、この「寄り道」がCongressそのものと同じくらい、いろいろなことを考えさせてくれる旅になりました。
最初の滞在地はイスタンブール。
週末をここで過ごし、ヨーロッパ側とアジア側を行き来しました。
今回あらためて感心したのが、イスタンブールの公共交通の使いやすさです。
「イスタンブールカード」という交通カードが一枚あれば、地下鉄もトラムもバスも、そしてボスポラス海峡を渡る国営フェリーも利用できる。しかも、どれも安価です。
旅行者にとって便利なのはもちろんですが、街を歩き回っているうちに、「これは住んでいる人にとっても、かなり暮らしやすい都市なのではないか」と感じるようになりました。
ヨーロッパ側で食事をして、バスやトラムに乗り、エジプト市場をみて、フェリーで海峡を渡り、アジア側を歩いて、目当てのお店でサバサンドを食べて、若者が多いアジア側の街のカフェで一服して、また船で戻ってくる。
観光客のために特別に用意された移動手段ではなく、地元の人たちが通勤や通学や買い物に使っている日常の交通網に、旅行者である自分もそのまま混ざっていけます。
これは、私にはとても心地よいことでした。
市場調査の仕事をしていると、つい「Europe」「Asia」「Japan」と市場を区切って考えます。
しかしイスタンブールでは、一枚の交通カードを持って船に乗るだけで、文字通りヨーロッパからアジアへ渡れてしまう。
海を挟んだ二つの大陸に、一つの都市の日常生活が続いています。
そしてフェリーに乗っていると、観光地を巡っているというより、「イスタンブールという巨大な生活圏の中を移動している」という感覚になります。
都市を理解するには、有名な観光地を見るだけでなく、その街の人が普段使っている交通機関に乗ってみるのがよいのかもしれませんね。
その移動の中で、もう一つ興味深かったのが、人との距離感でした。
トルコの人々は、最初の表情だけを見ると、日本人にとっては少し無愛想に感じられることがあります。
ところが、こちらから話しかけてみる。
すると突然、表情が変わる。
親身になって教えてくれたり、冗談を言ったり、こちらが日本人だとわかると一段と好意的になったりする。
もちろん個人差はありますし、短期間の旅行者の印象にすぎません。それでも、何度かトルコを訪れる中で、私はこの独特の温かさを感じてきました。
日本とトルコは遠く離れています。それでも、どこか人との付き合い方に「わかるな」と思える部分があります。
欧州を旅していると、とても感じよく、礼儀正しく、洗練された応対をしてもらうことがたくさんあります。一方で、ときにその完璧な応対の向こう側に、もう一枚の壁があるように感じることもあります。
トルコではむしろ逆で、最初の扉は少し重い。しかし開けてみると、その先の距離が近い。
これはあくまで私個人の旅の感覚ですが、市場調査を仕事にしている人間として、とても興味深い違いでした。
次はセルビアのベオグラード。
ここはほとんどトランジットです。
それでも一泊したのには、非常に個人的かつ重要な理由がありました。
名物の、巨大なハンバーガーのような肉料理を食べてみたかったからです。
プレスカヴィツァ。
こういう寄り道は、国際出張の密かな楽しみでもあります。
短時間の滞在なので、セルビアについて何かを語れるほど見たわけではありませんが、街を歩いていて中華系の人々やビジネスの存在感が思った以上に目についたのは印象に残りました。
国際市場調査をしていると、国について大量の統計を見ることがあります。
人口、所得、GDP、消費、ブランド浸透率……。
しかし実際にその街に立つと、統計表にはなかなか現れない「いま、この街では何が動いているのだろう」という感覚があります。
だから短い滞在でも、街を歩くことには意味があり楽しいです。
そして目的地、スペインのバレンシア。
マドリードやバルセロナほど巨大ではなく、街は比較的こじんまりしています。
しかし、明るい。
気候だけではなく、街そのものに開放感があります。
歩きやすく、食べ物もおいしく、物価も欧州の大都市としては比較的過ごしやすい。
そして、もちろんパエリア。
市場調査の国際会議に参加するというかなり頭脳労働的な目的で来ているのに、こういう土地では、食事をして街を歩くだけで頭のスイッチが切り替わります。
そして、ここに世界中から市場調査のプロフェッショナルが集まってきました。
ESOMAR Congressの会場に入ると、やはり壮観です。80カ国以上から1,000人を超えるプロフェッショナル。
リサーチャー、インサイト担当者、データサイエンティスト、テクノロジー企業、クライアント企業、調査会社の経営者。
普段は世界の別々の場所で仕事をしている人たちが、一つの会場を歩いています。
そして2026年のCongressを覆っていた最大のテーマは、やはりAIでした。
AIをどう市場調査に使うのか。
リサーチャーの仕事はどう変わるのか。
Synthetic respondentsはどこまで使えるのか。
定性調査、定量調査、分析、レポーティングはどう変わるのか。
もはや「AIを使うべきか」という議論ではありません。
「どこに、どう使い、人間は何をするのか」という段階に完全に入っています。
私自身、市場調査の仕事でAIを日常的に使うようになりました。
だからCongressでAIの話を聞くことには、大きな意味がありました。
しかし、数日間を終えてみて、私の中に最も強く残ったものは少し別のことでした。

久しぶりに会った人が、遠くからこちらを見つける。
「久しぶり!」
握手をする。
最近どんな仕事をしているのか聞く。
昔一緒にやったプロジェクトの話になる。
その人から別の人を紹介される。
初めて会った人なのに、共通の知人が何人もいる。
「○○(地名等)なら、この人と話したほうがいい」と誰かを紹介する。
コーヒーを飲みながら話していたら、いつの間にか仕事のアイデアが生まれている。
こういうことが、会場のあちこちで起こります。
LinkedInでもZoomでもメールでも、情報交換はできます。
AIなら、もっと高速に情報を集め、整理し、分析してくれます。
それでも、同じ場所にいる人間同士が、その人の表情、声、ユーモア、迷い、経験、好奇心まで含めて「全人格的」にコミュニケーションすることには、まったく別の情報量があります。
そして面白いことに、AIが進歩すればするほど、この価値は相対的に大きくなるのではないかと思いました。
情報そのものが希少だった時代には、情報を持っていることが価値でした。
しかしAIによって情報や分析へのアクセスが劇的に容易になるなら、これから希少になるのはむしろ、
「誰を信頼するのか」
「誰と一緒に仕事をしたいのか」
「この人なら、この市場を任せられると思えるか」
という、人と人との関係なのかもしれません。
国際市場調査は、まさにその上に成り立つ仕事です。

帰路でもイスタンブールに一泊しました。
ただし今度は市街地には向かわず、空港から北西へ。黒海に面したKaraburunという海辺のエリアで過ごすことにしました。
まだ国際的に有名なビーチリゾートという感じではありません。
ですが、これから知られていくのではないか、という雰囲気の場所です。
ともうのも、いまでもイスタンブール空港からクルマで30分ほどと近いですが、近々この隣町まで空港から10分くらいで移動できる道路が完成する予定だからです。
周辺に建築中の建物もたくさんありましたので、安価に穴場を満喫できるのもあと少しの間かもしれません。
今回のヨーロッパ出張では、実は意図的に時差ボケを完全には直しませんでした。
日本のクライアントとの連絡もあります。
アメリカへ行くときには、私はメラトニンも使ってなるべく現地時間に身体を合わせてしまうほうが楽なのですが、ヨーロッパは少し違います。
日本で普段かなり夜更かしをしていることもあって、その生活時間を完全に現地時間へ切り替えずに持ってくると、ヨーロッパでは「ものすごく老人のように早寝早起きの人」になります。
ところが、これが意外にいいのです。
Karaburunでも朝食よりずっと前に目が覚めました。
せっかくなので外へ出てみると、朝の黒海がありました。
人の少ない海岸。朝の光。まだ一日が本格的に始まる前の静かな風景。
昼間なら通り過ぎてしまうような景色を、かなり長い時間楽しむことができました。
「早起きは三文の徳」とはよく言ったものです。
そして面白いのは、早朝の街には、当然ながら「早朝に活動している人」がいることです。
仕事を始めている人。
散歩をしている人。
店を開ける人。
朝から元気に動いている人。
旅行先では、普通なら観光客が活動する時間帯の街しか見ません。
しかし少し違う時間に外へ出ると、同じ街なのに違う人たちに出会います。
これは市場調査にも少し似ています。
私たちは「この国の生活者」と簡単に言います。
しかし、こちらが観察する時間を変えるだけで、見える生活者が変わる。
場所を変えれば、また変わる。
質問の仕方を変えても変わる。
つまり「市場を見る」という行為は、実は見る側がどこに立ち、何時にそこにいて、誰に話しかけるかによって、かなり違ったものになります。
もちろん、そんな難しいことを考えて早起きしたわけではありません。
単に日本との仕事の都合で時差ボケを直さなかっただけです。
でも結果として、黒海のきれいな朝を見ることができ、朝から動き始める人たちにも出会えました。
海外出張というのは、こういう予定外の発見があるから面白い。
日本では夜更かし人間の私が、トルコでは早起きのおかげで少し得をしました。
朝の黒海は、とても美しい海でした。
まだ人も少なく、朝の光を受けた海を眺めていると、東京から遠く離れたところまで来たことを実感します。
しかし、その海を眺めているうちに、少し複雑な気持ちにもなりました。
この美しい黒海の向こう側にはウクライナがあり、同じ海につながる地域で、いまも戦争によって日常を奪われている人たちがいる。
もちろんKaraburunの浜辺からそれが見えるわけではなく、目の前にあるのは、ただ静かで美しい海ですが、だからこそ、そのことを考えると少し感傷的になります。
世界を移動していると、ニュースの中で見ていた地名が、突然、自分の立っている場所と地続きになります。
市場調査の仕事では、国を「市場」と呼ぶこともあり、日本市場、トルコ市場、スペイン市場、ウクライナ市場、便利な言葉です。が、実際に世界を歩くと、その「市場」の中には当然ながら、一人ひとりの日常があります。
朝起きる人がいて、仕事へ行く人がいて、家族と食事をする人がいる。
そういう当たり前の日常が続いている場所もあれば、それを突然奪われてしまった場所もある。
そんなことも考えました。
東京からイスタンブールへ。
海峡を渡ってアジアからヨーロッパへ。
ベオグラードを経てバレンシアへ。
世界中のリサーチャーと話し、再びイスタンブールへ戻り、黒海を見て、そして東京へ。
AIについてこれほど大量に考えたCongressは、これまでなかったかもしれません。
それなのに、旅を終えて一番強く感じているのは、とても人間的なことです。
世界へ出て、人に会うこと。
同じテーブルで食べること。
相手の表情を見ながら話すこと。
知らない文化の中に自分を置いてみること。
そして、自分とは違うと思っていた人の中に、思いがけず自分と似た何かを見つけること。
AIによって市場調査はこれから大きく変わるでしょう。
だからこそ、私たちはもっと世界を歩き、もっと人に会ったほうがいい。
バレンシアから東京までの長い帰路で、そんなことを考えていました。
(グローカルインサイト株式会社 代表取締役 中村健介)